「中学校の先生には指導力が無い」と思われていることが多いようです。

もちろん、個人的に問題のある先生がいることは否定しません。だからと言って、一概に指導力が無いとも言い切れない側面もあるのです。

 

先生だけでなく、システムの問題もある

学校でも塾でも、教師というのは毎年毎年同じ内容を教える仕事ですから、慣れさえすればそこそこの授業はできるようになります。

しかし、「そこそこの授業」程度では、昔と違って今の生徒たちには通用しません。

それなのに、なぜかそこそこの授業しかできないにも関わらず、調子に乗って「自分はすごい」「自分はこれで良い」という思いに至る先生が多いです。

教師はたとえ新卒であっても「先生」として扱われる特殊な仕事だけあって、そういう勘違いした人が生まれやすい環境があるわけですね。

 

ところが塾の場合は、生徒からの評価で給料や昇進(またはクビ)が決まるなどのインセンティブが働きます。

それだけで十分ということは全くありませんが、自浄作用が少しは働くわけですね。

 

しかし、学校は公務員だけに、そういったことがありません。

それに人間ですから、長く勤めていると、ついつい「努力する気持ち」を失いがちです。

その結果、「そこそこの授業(=現実には全く通用しない)」で満足してしまい、そこで止まってしまう(=指導力不足の)先生がたくさん生まれてしまうわけですね。

 

そして、最も大きいのは、そういった「使えないはずの教師」が、単に生き残るだけでなく、強い力を持ててしまうことです。

普通、成長を放棄した人たちは、教師でなくても尊敬されませんし、社会人としてもいわゆる「使えない人」ですよね。

もちろん、塾にもそういった人たちはたくさんいますが、やはり組織の中でも評価はされにくいです。

 

しかし、学校では能力によって人を降格したり排除したりするシステムがまともに機能しておらず、そういった人たちでも関係なく昇進をしていくことになります。

その結果、できない人がはびこって、できる人が腐りやすい環境になりがちなのですね。

これは、やる気と能力のある先生たちにとっては、致命的とも言える条件です。

 

学生時代に「良い生徒」が、学校の先生になりやすい

これは塾でも言えるのですが、最近の先生を目指す学生は、良い意味で「真面目な人」が多いです。

昔は「他になる仕事がなくて先生になった」などと言う人もいた時代があったようですが、今は勉強ができて公務員であることの安定を求めるタイプの人が先生になりがちです。

そしてそういう人は、もともと「勉強が好き」な人も多く、少なくとも受験を含めたどこかの段階で「勉強に良いイメージを持っている」ことがほとんどです。

そうやって勉強や学校に対して前向きになれたからこそ、「大変でも先生として頑張っていこう!」と思えるわけですからね。

 

ところが、「勉強が好き」「勉強に良いイメージを持っている」と言えるような生徒はほんの数%しかいません。

その数%の人ばかりが先生になるのですから、実際の生徒と感覚がずれていくのもしかたありません。

 

しかも、多くの先生が得意なのが、本当の意味での「勉強」ではなく、単なる「受験勉強」なのですから、問題は複雑です。

実際に、良い大学を出て、教員に採用されるには、受験や教員採用試験といったいくつもの難関を突破しなければなりません。

そういう意味では「優秀な人」なのは間違いないのですが、問題は「受験やテストのための勉強で優秀な人」と「学校の勉強を教える立場として優秀な人」は全く一致しないことです。

もちろん、これが塾の先生なら、そういう点に特化しているわけですから、まだ救いはあるのですが、学校の先生に求められるのは、むしろそこ以外のほうですよね。

受験やテストの勉強が得意でも、多感な時期の生徒対応には全く役に立たないですし、それどころか勉強ができればできるほど、そうでないたくさんの生徒たちからは、余計に乖離してしまいます。

 

実際、そういう先生が真面目に努力すればするほど、ますます生徒の感覚から遠ざかっていきます。

そもそも問題を起こす生徒というのは、真面目でも無ければ、努力もできない状況にいるのです。

同じ方向に走っている2人なら、頑張ればいつか追いつけるかもしれませんが、違う方向に走っていたら、どれだけ努力しても近づくどころか反対に遠ざかってしまいます。

悲しい事ですが、間違った方向への努力を繰り返し、心も体も疲弊して退職していく先生もたくさんいます。

 

団塊世代の定年によって若い先生が増えたことで指導力の平均が下がっている面も否定できません。

今の若い先生は経験不足だけでなく、ゆとり教育の影響による知識不足もありますからね。

しかし、そういった点以外にも様々な要因が潜んでいるわけですね。

 

教えやすさの点でも、塾の先生のほうが有利

塾は授業だけを教えれば良いのに対し、学校は学校生活の様々なことまで面倒を見なければいけませんよね。

それこそ、親がしつけるべきことまで「学校が教えるべきだ」などと言われている悲惨な現状もあります。

仮に塾でも同じ事を求められたら、学校同様に苦労することになるでしょう。

 

今の小中学校の実情を考えると、仮に塾で評価の高い先生たちが学校で教えても、うまく教えられないケースはかなり多いはずです。

例えば、学校は文科省からの強い縛りがあって、そこに苦労している先生は多いです。

また、地域の教育委員会が学校を縛ることもありますし、学校内で校長や古い先生が若い先生を縛ることもあります。

現場の一教師だけ見ると、本当にかわいそうなくらいにがんじがらめなのですね。

そういう状況で、良い指導を目指して変わったことをすれば叩かれますし、言われたとおり従順にすれば、他と変わらないロクでも無い指導になるのは避けられません。

先生の責任も否定はしませんが、組織やシステムからして問題があることのほうが多いのではないでしょうか。

 

また、学校には予習型の塾と復習型の塾に通っている生徒がバラバラで存在します。

予習型の塾にいる生徒には、学校の授業が退屈に感じます。「もう塾で習ったからいいや」という感じですね。

復習型の塾にいる生徒は学校の授業を一生懸命聞きません。

「分からなくても、どうせ後で塾で習うからいいや」という感じですね。

つまり「学校で授業をしっかり受ける」という意識自体が無い生徒も多いのですね。

これでは塾でも相当の指導力を持ったスーパー教師で無ければ、まとめることはできないでしょう。

 

そもそも、塾は一定レベル以上の生徒が集まるため、それこそ「そこそこの授業」でも成立してしまいます。

学校は義務教育なので追い出したり辞めさせたりはできませんが、塾なら退塾させることだって可能です。

別に学校の先生の指導力が低いとは限らず、むしろ塾にはそこそこの指導力でも成立してしまう「環境」や「システム」があるという面もあるのです。

ですから、一概に学校の先生の指導力が無いとも言えず、また、塾の先生の指導力が高いとも言えません。

 

学校と塾の先生の、指導力の実情

はっきり言って、学校でも塾でも、指導力の高い人は高いですし、低い人は低いです。

できない人が排除されにくいシステム・環境から見ると、学校のほうが「低すぎる人」「そこそこ以下の人」が多いでしょうが、塾は塾で資格も何もなく素人でもやれるような業界ですからね。

やはり、「学校だから」「塾だから」ではなく、個別の先生を見て判断していきたいものです。

そして、学校も塾も、お互いに相手を責めたり非難することをやめて、よりよい教育の実現のためにも、協力できることは協力し、任せることは任せるようになっていったら良いのに・・・と思います。

 

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楠木塾長

楠木塾長

かれこれ20年以上の指導経験と、1万組以上の相談対応件数を持つに至る、プロも相談するプロ。小中学生から高校生、大学生、社会人まで幅広く指導を行うが、このサイトでは中学生指導に専門を絞って独自の情報発信を続けている。また、反抗期・思春期の子育てや教育に関しても専門性が高く、保護者や指導者への助言指導なども行っている。

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